株式会社山一のご紹介
山一の歴史は古い。大正8年(1919年)に東京都立川市で建具や印紙を販売する「立川叶屋」を創業し、その後ガラス・サッシをはじめとする開口部建材の卸売業として拡大した。一時は売上高が100億円を超え、多数の不動産を保有していたが、先先代の時にバブル崩壊により経営が厳しくなった。
2019年、29歳で山一の5代目として事業を承継した齊藤社長は、経営再建に乗り出した。本社を東京都昭島市に移し、周囲の協力を得て4年前に見事、業績改革に成功した。
現在の社員数は48人。本社のある昭島のほかに神奈川・埼玉・山梨に支店と倉庫を持ち、開口部建材の卸売に加え、約50社の協力会社とともに年間約1600件の開口部工事を東京・神奈川・埼玉を中心に手がけている。主な顧客はガラス・サッシ販売店、工務店・ビルダー、ゼネコンなどだ。
「強みは、長い歴史の中で獲得したガラス・サッシ販売の知見があること。物流拠点となる倉庫が3カ所あること。そして何よりも、ガラス・サッシに特化して、現調や工事の段取りといった面倒なこと・泥臭いことを率先して一手に引き受ける対応力の高さだと思っています」と齊藤社長は話す。
この高い対応力をいかんなく発揮するうえで、一番の課題となっていたのが「段取り」だった。
今も応接室に飾られている、創業間もない大正12年の写真。
課題は段取り。営業の“個人商店感”が強く、予定管理・情報共有が進みにくかった
「当社は長年、卸売業をメインにしてきましたが、ここ数年で工事比率がぐんと上昇。営業が工事の段取りまで担うようになり、彼らの業務がより広範囲化・複雑化していました。同時に、当社の営業は“個人商店感”が結構強く、1人で何でもこなせるがゆえに、みんなで情報を共有してみんなで予定を管理する、ということをあまりしてきませんでした。そうした事情が重なり、段取りが効率化できていなかったのです」と齊藤社長は言う。
それまでは、20人いる営業それぞれが職人に電話連絡をして工事スケジュールを整えつつ、ホワイトボードに予定を記入。職人とはカレンダーアプリを使って工事日程を共有していた。ただし、徹底はされておらず、いつ誰がどこで何をしているかは必ずしもオープンではなく、段取りの方法も営業それぞれの裁量にゆだねられるため、手配忘れや日程忘れといったミスにつながることがあった。
また、使っていたカレンダーアプリは、複数の職人を同時に管理できない、案件名がわかりにくい、工事情報を細かく入力できない、写真やデータの管理ができないなど、工事に特化していないため不便を感じることも多かったという。
そんな中、齊藤社長はすぐに始められる解決策として「スケジュールの共有」に着目。ある展示会でANDPADの存在を知り、早速2022年からANDPADボードの運用を開始した。
みんなで仕事をし、助け合う意識をANDPADで育てる
ANDPADボードの導入に際して、齊藤社長が心に決めていた目標がある。それは「ANDPADを通じて“みんなで仕事をする”という意識を育てること」。
「幸い当社の社員はもともと、担当以外の仕事を嫌がらずにやるタイプではあるのですが、以前はそれを生かすツールや仕組みがなく、横の連携がとれませんでした。そこで、ANDPADを使って営業全員のスケジュールを共有すれば、“相互補完”の関係を強化できるんじゃないか、と考えたのです。
例えば、ある担当営業が打ち合わせで忙しく、しばらく現場に行けない場合、予定が空いている他の人が代わりに現場に行って担当営業と同じように仕事をする。こんなふうに“仲間の仕事も自分の仕事”という意識になれば、限られた時間の中でやれることが増え、会社全体の生産性が上がります。
もっと言えば、部署を超えて社員同士が助け合わない限り、対応力を今以上に上げるのは難しいという事実がありました」と明かす。
1日でこなせる仕事量が増加し、急な依頼にも即答。売上げにも好影響が出ている
導入後2年が経った現在は、主に営業、施工管理、受発注の担当者がANDPADボードを利用している。
営業・施工管理は、顧客との打ち合わせや工事の予定を各自で入力してスケジュールを共有。自身の都合がつかない場合には、ANDPADボードで他の人の予定を確認し、行けそうな人をその場で探して調整・確保する。
このほか、職人の稼働管理、現調やリフォーム前後の写真付き報告、資材の社内配送便の手配、一部の協力会社・取引先との情報共有もANDPADボードで行なっている。
スケジュールの共有をANDPADボードでするようになり、大きく変わったことがある。齊藤社長は「1日でできる仕事量がすごく増えた」と話す。
「“自分の仕事はこれ”ということをガチガチに固定しすぎずに、お互いに予定をオープンにして、空き時間があれば、担当に関係なく次の現場、また次の現場へと移動する段取りを組むことで、こなせる数が明らかに増えました。
以前だと、急な依頼が入ってもその場で判断がつかず、人を手配できないことが多々ありましたが、今は全員の予定がANDPADボード上でわかるので、レスポンスのスピードが上がり、かなりの割合で対応できるようになりました」。
各自の予定がオープンになったことで、いつ誰にどこに行ってほしいという議論自体が大幅に軽減。さらに、工事に特化したANDPADに変わったことで、稼働管理にかかる時間も半減した。
導入後の成果は、売上や利益率にも表れている。
「社長になった年に15億円だった売上が4年余りで20億円まで伸び、利益率は前期より1ポイント上がっています。もちろん複合的な要因はあるのでしょうが、以前よりもこなせる案件数が増え、難しい依頼への対応力と単価が上がっているのは明らかです」と語る。
予定を共有するだけで、みんなが助かる
齊藤社長自身も日々、ANDPADボードを利用している。
「総務・経理のスタッフから、私がいつどこにいるかがわかりにくいと言われ(笑)、率先して予定を共有するようになりました。先のスケジュールが明確だと、それに合わせて社長決裁が必要な書類を準備することができ、決裁とその後の振込業務などがスムーズに運びます。
また、わざわざ現地に行かなくても、各拠点の営業・職人の予定や、現調・リフォーム前後の写真を遠隔かつリアルタイムで確認できるため、距離が離れていることで生じていた不便やタイムロスがかなり解消されました」と変化を語る。
「社員の予定が一覧表示され、自分以外の状況がスマホで把握できるって、一見何でもないことのようですが、いざそれができるようになると仕事のやりやすさがだいぶ変わることを実感しています」。
習慣化は楽ではない。根気強く伝え続け、浸透させる
そんな同社も、最初からANDPADボードをスムーズに運用できたわけではないという。
「物理的な距離が近い本社スタッフの場合は、しつこく言い続けた結果、1カ月ほどで習慣化できましたが、ふと気づくと予定を入力しなくなる人が出てきたりして、全員が同じレベルで継続的に使いこなすにはもう少し時間がかかりそうです。
ただ、いきなり高い理想を掲げても難しいので、ANDPADボードを使う意図を根気強く伝えながら、社員を増員し、浸透させていけばいいじゃないかと思っています。こういうツールは使う人数がある程度多いほうがベネフィットを感じやすいでしょうし、会社の成長とともに人の行動や思考は変わるはずです」と齊藤社長。
また、アンドパッドのカスタマーサクセス担当者からの定期的な電話連絡にも勇気づけられていると話す。
「利用状況を聞いてくれたり、アップデートを知らせてくれたり、こちらからの質問や要望に対応してもらったりと、常に気にかけてもらえるのが嬉しいですよね。しかも、導入してからのこの2年間、ものごいスピードでANDPADボードの機能が拡充され、進化する様子を肌で感じられたのも、面白い体験でした」。
一番やりたかったことは実現。職人との情報共有を進めたい
「ANDPADボードをきっかけに、一番やりたかった“みんなで仕事をする”という感覚が社内に浸透し始め、売上・利益率の向上という数字的な効果としてもあらわれるようになったのが大きな成果」だと齊藤社長は語る。
最後に、この先ANDPADボードを使いながらどう成長していきたいか伺った。
「私たちが目指しているのは、商品のバリエーションや価格の安さで勝負するのではなく、お客様の成功のために強みである対応力をさらに磨いて付加価値とし、差別化、高利益化を図ること。
そのためにはやはり、予定・情報を共有し、部署や立場を超えて助け合うことが基本になります。社内だけでなく、すべての職人さんがANDPADボードを使うようになってくれれば、段取りが圧倒的に楽になって稼働量・利益率が上がり、職人さんにとっても収入が安定するというメリットが生まれます。
こうやってお客様が面倒だと思う仕事を私たちが引き受け、『山一に任せておけば安心』と言われる存在になりたいと考えています」。